魔法の森。 夜明け前から降り始めた雨は今、本降りとなり、地面に降り注いでいた。 厚く垂れ込めた黒い雲は、日光を遮り、ただでさえ暗い魔法の森を尚一層暗くしている。 しかし、生物という物は不思議な物で、しっかりと朝と夜の区別は付く。 此処に住む魔法使い、霧雨魔理沙も例外ではなく、しっかりと目覚めていた。 「雨…か…」 窓枠に腰掛け、ぼんやりと窓を打つ雨粒を眺めながら、ポツリと呟いた。 (母さん…) 魔理沙は人間である。当然両親がいた。 二人は人里にある小さな道具店をやっていた。 香霖堂店主、森近霖之助もこの店で修行し、独立した所だ。 主に魔理沙の母が仕入れた物を、父と、独立前の霖之助が売る。それが営みであった。 そこに魔理沙が生まれ、そして成長していった。 ただ、魔理沙が大きくなるにつれ、父親とは馬が合わなくなってきた。 だが母は違った。 「やりたい事をやりなさい。」が口癖の人だった ある日突然、魔理沙が魔法を学びたい。そう言った時、父は猛反対した。 父はなんとしても魔理沙に店を継がせたかったからだ。 その為には魔法にうつつを抜かしている暇は無かった。 魔理沙の希望はあえなく砕かれた・・・そんな時。 母が魔法を学ぶ事を許し、父を説き伏せた。 魔理沙がやりたい事をやれば良い。多様な物事に触れるのも商売には大切だ。 ―そう言って。 そして、店を手伝うという条件で、魔理沙は少しずつ、独学で魔法を学び始めた。 その時には霖之助は独立し、今の魔法の森にある香霖堂を開いている。 しかし、そんな魔理沙の魔法の勉強は、ほんのひと時で閉ざされる事となる。 『その日』も雨だった。暗雲が垂れ込め、雷が鳴っている。そんな日だった。 魔理沙の母は、そんな日でも仕入れに行った。今までもそうしていたからだ。 「それじゃ。行って来るね。魔理沙。」 「いってらっしゃい。お母さん。」 そういって母を見えなくなるまで見送って店に入り、手伝い―そんな筈だった。 ドーーン!!! 刹那、辺りが眩く光り、思わず魔理沙は目を瞑った。 今まで感じたことが無いほど近くに落ちた雷に驚きながら、目を開け、店に入ろうとした、その時だった。 「誰か!誰か来てくれ!!人が打たれた!!!」 里の人の叫び声に、自分は役に立たないかもしれないが、魔理沙は急いで向かった。 他の里の人も、その叫び声に、続々とその声の元へと向かった・・・ 「――!!お…お母さん!!!」 叫んでいた里の人の近くで、倒れている母が目に入った。 次の瞬間には、魔理沙は、泣きながら、倒れて動かなくなった母の元にいて、叫び続けていた。 一瞬だった。母が差していた傘に雷が落ちたのだった。 里の人が急いで医者の下へ運んだが、遅かった。いや。遅いと言うのではないかもしれない。 ―即死だった・・・ この件に一番ショックを受けたのは魔理沙の父だった。突然、最愛の人が逝ってしまったのだから。 彼はそのままでは受け入れられなかった。故に自らが受け入れやすい形で受け入れた。 ―何か、誰かのせいにするという方法で・・・ 「だから無理だって言ってるじゃん!?」 「無理なわけがあるかい!お前がその怪しげな何かを使ったんだろ?だからあれ程やるなと…!」 矛先が向いたのは、自らが反対した魔理沙の魔法だった。 事実、何も知らない人間から魔法を見れば、雷だろうが地震だろうが、何でも起こせる様に見える。 だが、実際は違う。魔法は万能ではないし、余程の力がないと天候までは動かせない。 たかだか学んだのが一年にも満たない程度の魔法、それもほぼ独学では、火をおこせれば良いほうだ。 魔理沙が学んでいたのはあくまで基礎の基礎、魔力のコントロールだった・・・ それを知っている魔理沙、全く知らない父との間では、争いが起こるのも無理は無かった。 「もう金輪際魔法なんて下らない物止めてしまえ!!!」 「何で止めなきゃいけないの!?人の役に立つ物なんだよ!?」 父の怒声にも負けじと魔理沙が答える。 「五月蝿い!」 余りの大声にビクッっと魔理沙が身をすくめる。が、負けじと言い返す。 「言い返せなくなったらすぐ五月蝿い?じゃあ役に立たないって証明してよ!」 「とにかく止めろ止めろ!!お前は家を継げばそれでいいんだ!それ以上は要らん!!分かったな!?」 その言葉を強引に打ち切った次の瞬間だった。 魔理沙は、母に入手してもらった幾冊かの魔道書を持って泣きながら家を飛び出した。 自らの言葉を無視された。その行為で父は決断した。 「お前なぞ勘当だ!いいか!!二度と帰ってくるな!!!」 自分に背を向けて走り続ける魔理沙に叫んでいた… その後、魔理沙は霖之助の紹介で、師と呼べる者と出会い、今に至る―… 当然、父とはあの日以来会った事すらない。いや。会いたくなった事すらない。 ただ、母には時々会いたくなる。 ・・・今の自分が自分であるきっかけをくれたから・・・ 「…と。我ながら珍しく暗い事思い出しちまったな。」 そう呟き、魔理沙は思案し始める。今日一日どうやって過ごすかだ。 家に居てもいいのだが、こんな気分になってしまった以上、家には居たくない。 暫く候補と可能性を考えるうちに、一つの結論に達した。 「紅魔館でいっか。」 あそこにだったら暇をほぼ永遠に潰せるであろう図書館もあるし、 命がけだがフランと遊ぶのも良いだろう。姉妹で寝てるだろうが・・・ 更に咲夜の紅茶と茶菓子があるとなれば行かざるを得ない。 幸いにも雲はまだ厚かったが、雨は降っていないようだった。 魔理沙は、愛用の帽子を手に取ると、箒にまたがり、地を蹴った―… 「はぁ・・・」 ずぶ濡れ―いわゆる『濡れ鼠』となって紅魔館の玄関へ降り立った魔理沙を見てため息を吐く。 吐いた本人は十六夜咲夜。丁度この館の主姉妹を寝かしつけ、玄関掃除をした所であった。 一旦は止んだように思えた雨だったが、すぐにまた降り出したのだった。 当然、魔理沙は飛行中だった。 だが、魔理沙は引き返すことなくここまで来て、今の状況になっている訳である。 「いやぁ・・・」 苦笑する魔理沙。服や帽子からポタポタと水滴が滴り落ちている。 「まず、何でため息を吐かれてるか分かるかしら?」 腕を組み、二本の指で額を押さえながら咲夜は問う。 ガッツポーズを決めんばかりの顔で魔理沙は答えた。 「役立たず門番をお仕置きする口実を与えないでここに入ったからだぜ!」 「何言ってんの!掃除よ掃除!どれだけ大変か分かってんの!?」 今も玄関に水溜りを作っている魔理沙をまっすぐ見据えながら声を立てる。 「分からん。」 一言で否定された。咲夜は諦めた。はぁ・・・と再びため息を吐き、言う。 「もう・・・来なさい。」 これ以上言っても埒が明かないし、玄関が汚れる。 そう判断した咲夜は、取りあえずシャワーを浴びさせる事にした・・・ 「ふー。さっぱりだぜ。」 バスローブに首からタオルという格好で魔理沙がシャワールームから出てきた。 魔理沙のほんのり赤くなった頬から、湯気が出ている。 ここはいわゆる咲夜の私室。トイレ、シャワー完備の、メイド長だから居れる部屋である。 「全く・・・」 取りあえず服を妖精メイドに乾かさせ、玄関の掃除もした咲夜が現れた。 「おお咲夜。悪ぃな。サンキュ。」 魔理沙の言葉もそこそこに目的を尋ねる。 「んで?今日は図書館?妹様?・・・妹様はお休みだけど・・・」 「フランが寝てるか・・・じゃあ図書館だな。」 そういって部屋から出ようとする魔理沙の『あること』に咲夜は気付いた。 「ちょっと・・・待ちなさい。」 「んなっ!?」 目の前を通り過ぎようとした魔理沙を捕まえる。 見た目は華奢だったが意外に筋肉がついており、、実際はかなりしっかりした体だ。 今は、その体を、咲夜が抱きしめている。 帽子を取った魔理沙の背はやはり低く、自分の胸くらいまでしかなかった。 そして、彼女の首からタオルを取り上げ、髪を拭き始めた。 魔理沙の髪が濡れていたのだ。このままでは折角の髪が痛んでしまう。 「んゃ・・・咲夜・・・何を・・・」 咲夜の腕の中で抵抗していた魔理沙。 ドーーン!!! 「うひぁ!」 だが、予期せぬ雷の大きな音に魔理沙は驚き、思わず咲夜にしがみ付く。 これ幸いと、咲夜は魔理沙を更に押さえる。 「しまった・・・」 魔理沙は観念するしかなかった・・・ 「全く・・・女の子なんだからもう少し・・・」 大人しくなった魔理沙の癖のある金髪をタオルで吹きながら小言を言う。 ただ、何故自分でも言っているのかは分からなかった。 なのでメイドをやってるとどうしてもねぇ・・・そう思う事にした。 「うぅ・・・」 咲夜に捕まえられ、丁度抱かれている格好で髪を拭かれながら魔理沙は呟く。 これ位なら自分でも出来るし、何せ最低限やったからいい。そう思っていた。 (そういえば・・・) ふと思い出す。今朝思い出した事。それだ。 (そうだ・・・そういえば・・・母さんにこんな事よくされてたっけ・・・) 瞼の奥、浮かび上がる懐かしい記憶。それはもう二度と帰らぬ記憶だ。 それを想うと、魔理沙は胸から来る熱い何かを止める事が出来なかった・・・ (やべ・・・) 「はい。終わったわよ。」 髪を拭き終わり魔理沙を解放しようと押さえる力を弱めるが、魔理沙は動かない。 「・・・魔理沙・・・?」 不思議に思った咲夜は丁度自分の胸元にいる魔理沙を見下ろした。 「・・・!」 「ぇっ・・・ううぅっ。ぇっ……」 魔理沙が、泣いていた。 「魔理沙?・・・貴女・・・どうしたの・・・?」 優しげな咲夜のその声を聞いた魔理沙は、一気に崩れた・・・ 「うぁあああぁぁぁぁぁあああああん!!」 「ふぅ・・・」 咲夜は、普段魔理沙が見せない一面に驚きながらも考える。 魔理沙がなぜここまで泣いているのかは分からない。 まずは落ちつかせよう。そう思った咲夜は、 「思いっきり泣きなさい。魔理沙。」 そう言って、魔理沙が落ち着くまで、乾いた彼女の髪を優しく撫で続けていた・・・ 「・・・落ち着いた・・・?」 「うぅ・・・まぁ・・・ひっく・・・少しは・・・ぐす・・・」 まだしゃくり上げていたが、先ほどよりは幾分か落ち着いたようだ。 「どうしたの・・・?」 優しく、魔理沙に尋ねる。 「ぅぐっ・・・その・・・母さんを・・・うぅ・・・思い・・・出して・・・ひっぐ・・・」 それで咲夜は納得した。 そうだった。例え男言葉で強がっているように見せても 図書館から堂々と本を盗って行っても 山の神様達とドンパチをやらかしても 彼女は中身はまだまだ甘えたい面のある子供なのだ。 それも、幼いうちに親と別れた。それも死に別れなら母が恋しくなるのも当然だった。 「そう・・・」 そういってまた髪を優しく撫で始める。恐らくこれが母性という奴だろう。 先ほどの自分の感情にも、いつの間にか納得できていた。 「ひっく・・・うぅ・・・すっ・・・」 雨はいつの間にか、止んでいた― 「帰るの?」 すっかり落ち着いた魔理沙が帰る。といったので去り際に尋ねる。 「ああ・・・」 乾いた服を着て、目を真っ赤にした魔理沙が答える。 「図書館はいいの?」 「何か・・・いいや・・・」 魔理沙は泣いているうちに、今日のところの図書館はどうでも良くなっていた。 「そう・・・」 咲夜はそう呟き、二人の間に暫しの沈黙が流れる・・・ そして、どちらからともなく喋った。 「また、来ていいか?」 「また、いらっしゃい。」 魔理沙が、紅魔館に来る目的が一つ増えた・・・ そんな二人をこっそり見つめる影二つ。 大きな翼と七色の翼。 「「いいなぁ・・・」」